サニーデイ・サービスを聴くとあの頃の感覚を思い出す
サニーデイ・サービスの丸山晴茂さんが亡くなりました。
個人的にはサニーデイ・サービスは青春そのものだったので、とてもショックです。
高校生の頃から20代半ばにかけて、ずっと聴いていました。
初めてサニーデイを聴いた時の感じを思い出すと、あの頃の甘酸っぱいような感覚が再現され、なんとも言えない気持ちになります。
中学生の時に、フリッパーズ・ギターを友達から借りてから、古い表現ですが所謂”渋谷系”の音楽にどっぷりはまりました。
フリッパーズ・ギターが好きな友達たちと、小沢派か小山田派かと話したのは良い想いでです。ちなみに私は小山田君派でした。(のちに小沢健二のソロにもどっぷりはまるので結果的にはどっちも好きでした。笑)
フリッパーズ・ギターに始まり、ピチカート・ファイブ、コーネリアス、カジヒデキと様々な音楽を聴いて、そしてサニーデイ・サービスに出会いました。
恋に落ちる感覚と似てたと思います。聞いた瞬間に「落ちた」って思いました。
高校三年生の帰り道、毎日「東京」というアルバムを聴いていました。
ちょうど大学で東京に行くことになっていたので、それも「東京」というアルバムとリンクしていたのかもしれません。
通学のとき、家にいるとき、出かける時、いつもサニーデイ・サービスを聴いていました。
ですがライブには一度も行ったことがありませんでした。
周りにサニーデイ・サービスが好きな人がいなかったのもあり、ライブに行かないまま2000年にサニーデイ・サービスは解散をしてしまいました。
一人でも行けばよかったのでしょうが、その頃の私はおひとり様が出来なかったのです。
再結成された時、「懐かしいな」と思いながらも、仕事に追われ、昔のように純粋に音楽を聴く時間を持てず、距離が出来ていました。
結果的に一度も生のサニーデイ・サービスを見ることはできませんでした。
大人になると「できないことへの言い訳」が上手になります。
それは自分ですら騙されるレベルなので、気づきにくいですが。
サニーデイ・サービスを好きになったことで新たに出会いもありました。
職場にサニーデイ・サービスが好きな人がいて、はっぴいえんどを聞くと良いよと教えてもらい、はっぴいえんどにも衝撃を受けました。
(はっぴいえんどについては、いつか別で書こうと思います)
サニーデイ・サービスに出会い、私の狭い世界が広がりました。
私の青春はサニーデイ・サービスと共にあったのです。
丸山さんのように若くして亡くなる方がいると、自分もいつ死ぬか分からないんだなと思いだします。
死ぬ前に「ああしてればよかった、こうしてればよかった」と後悔しないように、やりたいことはやって、体験したいことは体験して、思いを伝えたい人がいたら伝えないといけないなと改めて思いました。
丸山晴茂さんのご冥福をお祈りします。